2011年4月6日水曜日

大森海苔会館



日本の海苔は大森から広がった
東京湾の大森周辺の海苔養殖技術が全国に伝播し、太平洋岸にいくつかの海苔の生産地を生み出したのは、江戸時代後期でした。それらの産地へは大森から直接、あるいは間接に伝播しているが、それに係わったのは、大森の生産者と信州諏訪の海苔商人でした。冬期の出稼ぎとして江戸へ出て、大森から海苔を仕入れ、江戸市中各街道筋を行商したのです。その諏訪商人が東海道筋を往来するうちに、海苔生産に適した波静かな入り江を見出し、新たな海苔仕入れ産地を興そうと、大森から生産技術のある者を伴ったり、招かれたりもしたとのことです。今でも、全国の海苔商人には諏訪出身の人が多いのはこのためです

浅草海苔とは

浅草海苔ってよく聞くけどいったいどんな海苔を浅草海苔と言うのでしょうか。海苔屋さんに聞いてもよく解りません。それもそのはずで、浅草海苔のいわれにはいろいろな説があるのです。
①昔、入り江になっていた浅草界隈で、この海苔が採取された。
②品川大森で採取した海苔を、浅草で製造した。
③品川大森で採取製造した海苔を浅草で販売した。
④乾し板状の浅草海苔の製法と形状が再生紙の浅草紙の製法が良く似ていた。このうち②と③がもっとも有力視されています